日本の医学の発展と向上に生涯を捧げた高木兼寛の足跡をたどる

 今を去ること約170年前に、宮崎市高岡町穆佐に生まれ、イギリスに留学し、帰国後、難病といわれた脚気の予防法確立を始めとして、日本の医学界に多大な貢献をした人。そして、東京慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大造営など、数々の偉業を成し遂げた郷土の偉人、高木兼寛。

 また、麦飯男爵と呼ばれ多くの人に親しまれた彼の業績を偲び、その人柄に触れ、彼の医者としての考え方に少しでも学んでいただければ幸いです。

 1920年、眠るように息をひきとった兼寛の業績は、今も世界各国で脈々と生きています。

 

お 知 ら せ


■令和5年4月1日

 ・ホームページを開設しました。


高木兼寛顕彰会