会長あいさつ

高木兼寛顕彰会 会長 中山芳敎

 高木兼寛顕彰会は平成11年(1999)に発足しました。令和4年度の構成員数は、一般会員235人、賛助会員(行事等への参加活動は出来ないが会の趣旨への賛同者)52人、終身会員21名、法人7、東京慈恵会医科大学関係者18名となっています。

 高木兼寛公の生誕は、嘉永2年(1849)9月15日です。当時の出生地は、薩摩藩日向国穆佐(むかさ)郷小山田村(現宮崎市高岡町穆佐)になります。7歳で四書五経を学び、示現流剣法で体を鍛えたといわれています。18歳と22歳の2回ほど鹿児島の医学校で学びますが、1回目の時薩摩藩の医師として、戊辰の役に参戦しています。その時出会ったのが、イギリス人医師ウィリアム・ウィリスだったそうです。イギリスに留学したのは、海軍の軍医になってからでした。明治8年から明治13年(1875~1880)までで帰国して、航海による実験で脚気病の原因は食物にあることをつきとめました。

 脚気撲滅の基礎の発見者であり、東京慈恵会医科大学の創設、日本初の看護婦学校を造り、資生堂、帝国生命(現朝日生命)の創業に携わりました。東京市議会議員、貴族院議員、東京市教育会会長を務め、日本初の医学博士に任じられました。郷土宮崎では宮崎神宮大造営(現在の建物)の幹事長を務め、その名を残しました。

 高木兼寛顕彰会の主な活動は、総会での「講演会の開催」主として慈恵大学の教授を招聘しますが。令和4年度の講師は、宮崎市清山市長でした。宮崎大学医学部看護学科学生への「高木兼寛賞の授与」、兼寛公に関わる「学習会、講演会の実施」「東京慈恵会医科大学、宮崎大学医学部学生の交流を目的とした『穆園先生ふるさとの旅』ホームステイ事業」、会員及び一般市民参加の「ビタミン街道歩こう会」、高岡町内小・中学校3校による「宮崎市高岡町教育の日合同穆園学習会」の支援。「宮崎神宮御神幸への参加」また、高岡まちづくり参画事業として、「ふるさとふれあいバスツアー」や「穆園ファミリーコンサート」などがあります。