出典:東京慈恵会医科大学
嘉永2年(1849年)現在の宮崎市高岡町穆佐に生まれた高木兼寛は、明治時代、当時難病とされた「脚気」は栄養不足であることをつきとめ、その予防法を確立しました。この兼寛の研究は、後のビタミン発見につながり、脚気はビタミンBの欠乏で発症することが証明されます。このことから、高木兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれています。このほか、東京慈恵会医科大学の創設や日本初の看護学校の創設など、日本医学発展のために多大な貢献をしました。
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ビタミンの父 高木兼寛
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